微笑む
いつからだったか、悲しいと言わなくなった。
暑いとか、寒いとかと同じ、そう思うようになったから。口にしたところで、悲しみがなくなるわけでもない。
うだるような熱さのもと、どうにかしてくれと言われたところで、自分も耐えているんだ、といった顔をされてしまう。それと同じで、悲しいと主張するのは、野暮な真似に過ぎない。
だから、いつも非現実でそれを薄めてきた。
フィクションの力は偉大で、それを数滴垂らすだけで、悲しみはずっと薄まった。
でも、悲しみは常に垂れてくる。
ぴちょん、ぴちょん、とひたすらに。
そうして気が付けば、非現実の力ではどうしようもない事態にまで来ていた。
どれだけ垂らそうとも、一向に薄まることのない悲しみは、いよいよもって悍ましさを感じさせる。
なのに、鏡の向こうには、微笑みがある。
知っていた。
どうせこの悲しみもまた、乗り越えられてしまうと。
悲しみの渦中にあって、苦しみ続けていると、いずれは慣れてしまうから。
悲しみでさえ、鮮度がある。
だからじっと、耐え忍ぶ。
きっとそのうち、マシになるよ。