この10年を振り返って - 藤夜アキ NEXT 10 YEARS PROJECT
こんばんは、藤夜アキです。
今年、2019年は、私藤夜アキが創作を始めてから10年になる節目の年です。
もともと文章自体はもっと前から書いていたのですが、小説家になりたい、と心に決めて物書きを始めたのが2009年のことでしたので、私の物書き人生の始まりは2009年に設定しています。
さて、今年は藤夜アキ NEXT 10 YEARS PROJECTとして、次の10年に繋がる活動が出来るよう、様々に動いていきたく思います。
差し当たってその第一弾として、この10年、私が書いてきた創作の様を、色々と振り返ることにします。
とても長いです。過去の作品の一節を引用しつつになるので、とーっても長いです。
2009年(15歳)
中学三年生の頃です。この頃まだパソコンに触れることはなく(家にはありましたが)、文章は手書きでした。
今から思えば恥ずかしい中身だけれど、何を恥じることもない、大切な始まりの作品です。
もともと海外の児童文学が好きだった私は、「ハリー・ポッター」シリーズや「ダレン・シャン」シリーズ、「デルトラクエスト」シリーズや「ウォーリアーズ」シリーズ、「ナルニア国物語」シリーズなど、様々なファンタジー要素の強い作品を読んで育ってきました。他にも寺村輝夫や斉藤洋の児童文学にも触れ、お話や物語というものが、私の文学の中心にありました。
なので、2009年より前のものは、物語に該当するものを書いていました。
そんな中、2007年から2008年にかけて、アメリカの名作家、スティーヴン・キングの「ダーク・タワー」シリーズに出逢ったことが、私を物語から小説の世界へ導くきっかけとなったように思います。
今も昔も、私はあまり小説らしい小説に興味がありません(身も蓋もないな)。
本を読むのは好きだけれど、小説のコーナーに置いてあるようなものが、私の興味の外なのは、よく考えれば自然なことなのかもしれません。
さて、さっきの写真の作品は、戦国の世からやってきた武家のお姫様が、現代の少年たる主人公と共に、お姫様の家を乗っ取った家臣を打ち倒す、というファンタジー色の強い作品です。妖刀とか必殺技が出てきますが、これを生み出すきっかけとなったのが、『週刊少年ジャンプ』との出逢いでした。
当時、私は漫画というものを一冊しか持っていませんでした。そう、「遊☆戯☆王」の15巻です。なぜか15巻だけです。
あまりにも読むのが早すぎて、そうおいそれと買ってもあげられない、という理由から、我が家では漫画の購入はほぼありませんでした。
それが、ようやっとこの頃緩みだし、週刊誌に手を出すことが出来るようになったのです。
ジャンプという新世界は、まさに私にとってのネタの宝庫。
厨二病全開のこの頃、私はスポンジのように少年誌の世界を吸い取っていきました。
また同時に、ライトノベルを知ったのもこの年でした。塾で知り合った友達が、私にラノベを教えてくれたのでした。
その記念すべき一冊目は、「聖剣の刀鍛冶」。今思えば、まだ当時はラノベの世界も今ほどの柔らかさはなかったような気がします。
少年の心は、一気にファンタジーバトルものへと移っていきます。
そうして、私が初めて書き上げたこの作品は、なぜか3年2組の教室中を回ることになったのです。
おかしくね!?
と思いつつ、私はとても満たされていました。
メンタルは鋼の如しだったのです。
当時ペンネームがあったのかと探ると、どうやら無かったらしく、作者名には本名が書かれていました。
当時最大の記憶が、文学少年、とでも言うべき、小説が大好きなH君の言葉でした。
「状況の描写がなさすぎて伝わらない」という言葉は、それからの私に重くのしかかることになるのです。
この年の作品は、この一本限りです。
2010年(16歳)
この年の3月、私は初めてWordを使って小説を書くことになります。
残念ながらファイルは残っておらず、それもそのはず、私はファイルの管理のやり方さえ知らなかったのです。
印刷した作品はどこかにあるはずなのですが、なにせ9年前。今のところ見つかっていません。
そして4月、私の未来を決定づける出逢いがあったのです。
高校の文芸部。
そここそ、今の私が生まれる最大のきっかけとなった場所です。
文芸部というと、読むところと書くところ、二種類あるらしいのですが、私の出逢った文芸部は、書くところでした。
今の私の執筆の根幹は、全てここで培われています。
ですから、ここで文芸部に出逢っていなければ、今の私は文章を書いてはいたとしても、今のようなスタイルでの創作は出来ていないはずです。
文章の書き方を学び、身近な創作仲間を得て、私は物書きとしての人生を本格的に歩み始めました。
しかしここで、私の作風は大きく転換します。
ファンタジーから、今の恋愛小説へ移ったのです。
日本人の作品は、どんなものでも恋愛が絡みます。どうやら私は、その恋愛の要素が特に好きだったようなのです。
しかし私は、当時恋愛小説も少女漫画も読んだことがなく、参考にしたのは、微かに記憶の残る、小学校六年生の頃に読んだ、青い鳥文庫のとある作品でした。名前が思い出せないのですが、その微かな記憶を辿りつつ、また男が恋愛小説を書くなんて、という偏見から、女性の名義を名乗ります。
その名義で実際その後数年間活動しており、また藤夜アキとは別人であるとしてしまったことから、現在においてもこの名義は公開していませんが、この名義だからこそ書けた作品というものも確かにあると思い、今でも大切に思っています。
暖かい春の日差しが眩しい正午過ぎ。町外れの大きな一軒家の庭で、二人の若い女性が洗濯物を干し終え会話していた。
一人は金髪に青い瞳をしていて、背が少し高かった。スタイルがよく、町に買出しに出ればすぐさま男たちに声をかけられるほどであった。しかし彼女には理想の男性像が確立していたため、そのどれもに見向きしなかった。
もう一人は栗毛に赤い瞳をしていて、背丈は一般の女性ぐらいであった。先ほどの女性と比較すると容姿はやや見劣りするが、それでも十分に美しかった。
――「二人の王女」(2010.8.19)
当時の書きかけの原稿を発見しました。
この頃はまだファンタジー色から恋愛色への過渡期にあったらしく、描こうとしているテーマからはその中間色を見出すことが出来ます。
この夏、文芸部の発刊する雑誌に処女作を公開したのですが、それは明確に恋愛小説と打ち出したものでした。夏の終わりのことです。
なぜかスパゲッティの作り方をゼロから書いた名作中の名作でもあったのですが、それを原点として、藤夜アキは本格的に今のような活動を始めていきます。
別名義ではあるものの本体は同じなので、これも藤夜アキの記録の中には含めるというややこしい感じです。
当時、M君という既に出来上がっているような文才を持つ仲間がいて、彼は顧問の寵愛を受け、間違いなく華々しい道を進んでゆくように見え、私は果てしない憧れを抱いていました。良き友でもあり、乗り越えるべき壁でした。
彼が絵を描けたことも、私にとっては今の自分のあり方を考える上で、どうしても抜きには語れない存在だと思います。
しかしそんな彼は、唐突に部を辞めるのです。理由は直接彼の口から聞いてはいませんが、自らの才能の限界を悟った、そんなふうに風の噂で耳にしました。
それから、私は彼がいなくなったことで、部での存在感を獲得し、部を掌握する動きに出ることになるのです。
この年には既にツイッターを始め、またブログ等でも精力的な活動を始めていました。作品の多くは印刷したのですが、いかんせん管理がガバい人間のため、しっかり残してはいません。どれがこの頃の作品なのか、主要なもの以外は覚えていないのです。
この頃はライトノベルに本格的に触れるようになり、「涼宮ハルヒの憂鬱」や「バカとテストと召喚獣」など、大御所の作品を本格的に読み始めます。
ラノベの要素を多く取り入れ始め、今に繋がる下地を作っていた頃でした。
2011年(17歳)
高校二年生になった私は、本格的に部の掌握を図ります。
自分が成長出来るための場所、として使い切ろうと考えたのです。
当時の文芸部は、圧倒的に掛け持ちの部員が多く、文芸部のみに所属する数少ない部員である私の発言力は、実に大きいものがありました。
その甲斐あって、私は部長の役職を引き継ぐに至ります。その大いなる野望は、翌年ついに果たされることになるのですが、この頃はまだ、本性は隠していました。
この年からは、さらに本格的に創作が始まります。
記録に残る最初の詩作も、2011年からです。
また前年の末に、女性名義だけでやっていくことにも無理を感じ、男性名義で藤夜アキの直系の先祖にあたる、Soir名義が生まれており、ここでの創作も本格的に始まりました。
今日あったつらいことを日記に書くより、
今日あった嬉しいことを日記に書こう
今日あったつらいことを話すより、
今日あった嬉しいことを話そう
そして、後になって、もう一度その嬉しさを思い出そう
そして、幸せな気持ちになれると、また嬉しくなって、その気持ちを紙に書いたり、話したりできるんだ
――「Happiness -short ver.-」
渚に浮かぶ赤い花。
あの崖の上の花なのだろう。
まだ蕾も多く残り、咲く予兆が風の便りでも伝わる。
お前はどうしてこんなところに来てしまったんだ?
そう問いかけると、独りきりの花はこうしている方が気が楽だからよ、とでも答えるように波に揺られてくらくらと動いた。
どうだい、俺も一緒に行かせてもらっても良いかな、その返事は無く。
波紋を生み出す自身の身体はじわじわと濡れていく。
ちゃぽん、と沈んだ花を追うように、俺は遠く離れる世界に手を振った。
――「さよなら水面花」
若々しく瑞々しく小っ恥ずかしいポエムを吐いていたのも、この頃のようです。
また同時に、今のような陰鬱とした自分も生まれますが、今はそうした背景については、ややこしく長くなるので省きます。
当時の作品はiPhoneでの執筆ゆえに全角スペースが入力出来ず、長い間行頭の字下げがありません(笑)
2012年(18歳)
この年、私はついに文芸部を完全に手中に収めます。自らの望む通りに部を運営し、まさに暴君そのもののような圧政を敷いたのです。
レガシーとすべく、自分の長編作品をまるまる一冊、雑誌とは別に刷るというとんでもない所業をやらかしました。
そのおかげで、以後文芸部では、奴のような部長を出さないように、と様々お触れが出たと聞いています。
本当にあの時は、すみませんでした。
実を言うと、改革者として様々部のあり方を良くした(はずな)のですが、面白い方が良いと思ってこのように書いただけで、レガシーの件以外は、そ、それほど酷いことはしていないはずです。は、はずです。
名義としては、女性名義が後退し、Soir名義が前面に出ます。
初の長編作品、「夏の夜の忘れ物」(ネットでは未公開)を執筆し、高校生活での集大成としました。
私はあの夏の夜、あの丘に忘れ物をした。
あるいは、あの場所から驚いて逃げてしまったときに、落としてしまったとも言えるかもしれない。
好きになる気持ち。大切にしようという想い。
トメさんが言っていた〝青春〟と、伯母の言う〝探し物〟。それらもみんな、あることを愛することから始まるんだろう。
その行為には苦悩がついて回ることもあるけれど。
愛することから逃げてしまえば、何も見つめられない。
あの町を、かけがえのない仲間を、星空の下、寂しげに微笑む彼を、そして何より、そんな全てに囲まれた自分を愛すること。
目を逸らすことなく、それらをじっと見つめること。
たとえ辛くても、何とか耐えて、しがみつくこと。
その先に、私の求めるものが、静かに待っているはずだから。
最後の部分ですが、何気に初公開です。
この時、今も一番大切な創作仲間である海咲恍先生に表紙絵を頼んだのは、昨日のことのように思い出せます。それももう、七年も前のことになるんですね。
この海は、貴女の涙だ。
ここに浮くだけしか出来ない俺は、貴女に涙を流させた奴だ。
ナミダノウミ、浮き沈み。直に衣は水気に飽く。
ナミダノウミ、碧くなり。
心まで海の色に染まる。
ナミダノウミ、重くなり。
この痛みに引きずられゆく。
ナミダノウミ、沈みゆき。
七孔にどっと押し寄せるは哀。
ナミダノウミ、泡と化し。
今宵貴女の海に溺れる。
ナミダノウミ、ああ一息。
こぽと漏れた声、ゴメンナ。
ナミダノウミ、サヨナラ。
貴女に触れたまま死ねるなら本望だ。
ナミダノウミ、命尽きよ。
――「ナミダノウミ」
小説と違い、詩はいくつかこの頃の作品を保存しています。短いことから、後に個人サイトを運営するに当たり、集成作業を行ったことが大きいと思います。
またこの頃、自分を大きく変える作品との出逢いがありました。
「コードギアス 反逆のルルーシュ」との出逢いです。テレビでの放映自体はもう少し前になりますが、おそらく自分が繰り返し見た中で、最も回数の多いアニメになりました。
具体的に自分の作品への影響は分からないのですが、多分、何らか影を落としてると思いたい。
2013年(19歳)
二つ目の転機、大学への入学です。
それと同時に、二つ目の名義、碧海愛を名乗りました。以後、2016年まで、この名義で活動しました。
俺は歴史を学ぶんだ、国語だけはぜってえやらねえ、と意気込み、文学部へ入ります。
しかしそこで、驚愕の出逢いを果たすことになります。
和歌文学の大家の教授と出逢ったのです。
王朝の恋歌は、まさに和歌の真髄。恋愛を深く知りたいと思っていた私は、ぜってえやらねえと意気込んでいたはずの国文学へと、足を踏み入れることになったのでした。
好き勝手にやりてぇなぁ、所属とか締切とかめんどくせぇなぁ、と感じ始めていた私は、大学の文芸サークルには所属せず、この頃から今のような一匹おおかみを始めます。ワオーン。
この頃は発表場所を失ったことから、ブログで細々と執筆していたものが僅かに残るだけ。最も創作に非意欲的だった頃と言えます。
死んでいる。
とても人間とは思えない形相で、死んでいる。
それを見て俺は、ただただ気持ち悪いと感じた。
俺はコレをよく知ってた。
いや、ついさっきまで、一緒にいたはずだ。
だが、コレの取った言動を、何一つ明確なビジョンをもって思い出すことは出来なかった。
「何なんだよ、お前は」
あまりにも下劣なものにくれてやる目を向けながら、答えもしない屍に問うた。
――「遺骸」
籠の鳥は羽ばたかない。
彼はただ鳴くばかり。
こっちへおいでよ、そればかり。
籠の扉を開ける鍵は見当たらず、いつまでも彼は甘い声色を叫ぶ一方。
僕が居るだろう?
ええ、居るだけね。
皮肉めいた返事は、白い私から。
世間は皆私が彼を籠の中に閉じ込めたと言う。
彼が、籠から出ようともしないのに。
彼の声は美しい。彼の容姿は麗しい。
けれど籠から出ることは無い。
私の肩に乗ることも、頬にそっと尾羽を当てることも無い。
彼はそういう距離が好みなのよ。
貴女は言ったわね。でも違う、彼は、籠から出はしない。
籠の外は、優しさの掃き溜めだから。
ねえ、こっちに来てよ。
猫撫で声の誘いは、黒い私から。
――「籠の鳥は鳴けども羽ばたかず」
暗い作品も多く、自ら選んだはずの孤独でありながら、それに耐えられないでいる悲しみが随所に見受けられます。
それまで読んでいたライトノベルを読まなくなるのがこの頃です。
私にたくさんの作品を紹介してくれていた友人と別の大学になり、結果的に供給元がいなくなったことで、一気にサブカルに触れなくなります。
アニメもラノベも見なくなり、私は元々好きだったゲームの沼にハマっていくことになるのです。
2014年(20歳)
活動開始から5年が経った頃、大きな変革期を迎えます。
一つは、小説家になろうへの登録です。
それまでのブログでの細々とした活動を残しつつ、とりあえず形だけはやってみよう、と思って登録したことが、今の活動の素地を作るきっかけになりました。
夕方。国語の宿題と果敢に戦ってたところに、突然の着信音。
差出人は、凛くん。
本文には猫の絵文字が一つだけ。
件名をみると、これで出来てるか? と書いてあった。
「出来てるよー」
同じ言葉を、返信にも書いておいた。
――「私の生きにくいカレシ」その一
なろうでの出発点、生きカレです。
私の看板作品たる「歌い手カレシと絵師なカノジョ」の前進であり、今の藤夜アキらしい世界観を垣間見させる、穏やかな恋愛世界。
ラノベのような恋愛でもなければ、深すぎるものでもない、すぐそこにあるような恋愛を意識する姿が、この頃には見えます。
ただ、なろうには登録したものの、この頃はまだなろうでの活動に本気になれず、作品の本数は多くありません。
実を言うと歌絵師も連載が始まっていますが、すぐに書くのをやめています。
海は去年と同じ青をしていた。
雲は去年より少なめだった。
砂浜に人はいなかった。
私の隣に彼はいなかった。
嫌いになるために。
彼にもらった全てを、ここで捨てよう。
彼にもらった全てを、ここで流そう。
別れたのは、私からだと思うために。
私が彼を嫌ったから、別れたと思うために。
――「嫌いになるために」
やはり依然として発表場所はブログが多く、今は機能させていないこともあって、残念ながらこの頃の作品は多く埋没しています。
二つ目は、コミックマーケットへの参加です。
当時、高校時代の友人たちとノベルゲーム制作サークルの「のどかプラネタリウム」で活動しており、そこで作成したノベルゲームをコミケで頒布しました。
権利が一応サークルにあるので本文を公開出来ませんが、確かな分量の作品となると、この時書いたシナリオがそれに当たります。
Webデザインも担当しており、同時期にサイトを運営していました。
今はそれぞれの進路の異なりすぎから機能していませんが、実を言うと、私はもう一度集まりたいと思っています。言えば良いんだけどね、現実的じゃないかな。
2015年(21歳)
碧海愛最後の年です。
膨大に膨れ上がった(膨れ上がらせた)ツイッターのフォロワー数は、14,000人を超えていました。
ネット世界での数字というものに重きを置いた結果のことでした。
なろうには作品がほぼなく、まだブログで活動している頃でした。
あなたのことは、今も思い出す。
君には口に出来ないような時にでさえ、ふらっと思い返されたりして。
そんな時君は決まってそういう瞳をするから。
あなたが過去の人だって思える。
相変わらずあなたには会わない。
今はどこでどうしてる?
綺麗だけど、幸せにはなれてないかもね。
あなたの瞳には、俺がそう映っていたから。
俺は随分ひどい人になってしまったよ。
でも君には誰より、素敵な人。
だからあなたにも、感謝しなきゃね。
こんな俺にしてくれて、ありがとう、って。
――「ヒトミ」
あなたの姿が見える。
かつてこの瞳があなたを映したように。
あなたの姿が見える。
触れようとして、手を伸ばして、透明なそれにぶつかる。
押し付けた手は、緩やかに平らになって行く。
気が付けば私は、身動きの取れないすりガラスの中にいた。
あなたを透明なガラス越しに見つめるだけ。
私の望んだ、私とあなたの世界。
でもそれは、私とあなたとの世界ではない。
どうしてこうなってしまったんだろう。
――「in the frosted glass」
暗さと不安、それが私を覆っていた頃です。
今の藤夜アキを完成させたのは、まさにこの頃の精神のあり方だと感じます。
それまでは、自分の中に明るさと暗さがあり、その内の暗さにスポットライトを当てていたようなものでしたが、この頃から、暗さが自分のテーマそのものに変わります。
明るいものを書くことこそが、何か珍しいことのようになりました。
恋愛小説の類は引き続き書いていましたが、それはたまさかのことになります。
自分の一つの行き詰まりこそ、この年だったのではないでしょうか。
一方この年、今の私を形作る上で、決して外せない作品との、運命の出逢いを果たします。
「東京喰種」です。
恐ろしい勢いで私を染めたこの作品こそ、今の私が私たる、最大の所以です。
碧海愛という名前にも疑問を感じ始めていた私は、翌年、その作者名にあやかり、漢字+カタカナの名前で生まれ変わることになります。
2016年(22歳)
藤夜アキが藤夜アキになった年です。
この年の二月、生きカレに応援のコメントがついたことから、私の心に一つの氷解が起きました。
名義の変更と共に、今に繋がる本格的な創作活動が始まったのです。
この年、「歌い手カレシと絵師なカノジョ」の二日に一回更新が始まります。
一年間続けたことは、私の文章力の成長と執筆スピードの上昇に、確かな貢献をしてくれたはずです。
孤独であることが、不幸だというのも。
孤独でないことを、幸福と受け入れられる人にとってだけ。
私にとっての安寧は、謗りの無い、静かな世界で生きること。
一人で良い。一人でいることの出来ない人のやっかみなんて、放っておけば良い。
「ねえ、そうだよね」
言い聞かせるように。確かめるように。
時々、それでも自信をなくしかけることがあるから。
――「孤独な金魚の幸福」
桜が舞う頃には、ふっと、あなたを思い出す。
命が舞う度に、思い出す。
あなたのもとに参りたいけれど、きっと、あなたの気持ちが心の底から分かるようになるまでは、それも許されないだろうと、感じているから。
後幾度かは、あなたを偲びながら、こうして、私は微笑むのだろう。
――「紅葉の人」
それでも、壊せなかった。壊せないよ。
あなたと私が一緒だった証だから。
もう二度と、二つ揃うことはないけど。
もう、二度と。
割れちゃったから。割っちゃったから。
この時期からの作品は、多く小説家になろうにあります。未完結の連載がゴロゴロ転がっており、私の行き当たりばったりさがハッキリ見えてきます。
藤夜アキ初年ではありながら、自分の中の暗さを自分のものとして、武器に出来始めた頃でした。
暗さ×恋愛の要素を、自分らしさにして歩き始めるのが、藤夜アキという人なんだと思います。
前年の「東京喰種」との出逢いが、私の作品に新たな風を吹き込みます。
さらに、その中でamazarashiを知ったことも、私の方向性の決定に、莫大な影響を与えました。
2017年(23歳)
歌絵師クライシスが発生します。
3月のことでした。
唐突に膨大なアクセスが起こり、一時なろうのジャンル内ランキング3位にまで浮上します。
なろうで執筆を続けることの運命を決定づけた事件でした。
現在97万アクセスを越えるほどになったのも、この時のことがあってです。
認められなくても、書いていく。
私が10年続けられたのは、歌絵師の成長あってのことでしょう。
受け容れるべきじゃないものを受け容れ、認めるべきものを認めない。
誰かのマイナスを、僕のプラスみたいに取り込んで、僕は死んでいく。
また細野さんが笑いかけてくれる。
僕はそれに、嘘で応える。
僕が死んでいくのが分かる。
――「僕が死んでいくのが分かる」
彼は私の天使でした。
彼の言葉に励まされたこと、背中を押されたこと、癒されたこと、数えられないくらいあって、私は彼のおかげで生きることが出来ました。
でも、私一人の言葉で救えるほど、彼は小さな人ではなかったから。
彼の歌が増えることは、もうありません。
人の世は、彼の話を聞いてあげることさえしませんでした。そのことを責める私は、きっとこれから吊し上げられるんでしょう。
――「彼は私の天使でした」
あの頃、二人はもう誰も好きになるまいと思っていた。
恋の末、絶望した。
相手に、恋に、自分に。
幸せは、誰かの見た幻でしかないと思うようになった。
「あの時、伸びをしなかったら、私、ヨウ君と逢えなかったのかな」
それなのに、人は出逢う。
恋を知ったこの世界に、生き続けている限り、出逢いはまた訪れる。
――「本当の恋は、午後2時のカフェテリアで。」#25
それまで目にしてきたものを自らの糧として、様々な作品を投稿しています。
なろうでの活動は2016年、2017年が最も活発でした。
一方この年の7月、YouTubeでゲーム実況を始めます。創作にはほぼ現れない、明るい自分という部分を出せるようになったことで、いつも暗く沈んでばかりもいなくなり、晴れやかな気持ちになることもいくらか増えました。
2018年(24歳)
ここまで来ると、もうこの前のことです。
ツイッターである詩人さんを知ったことから、本格的に詩を書くようになります。
そのせいでツイッターに画像を貼ってしまうことも多くなり、以前ほどなろうに作品を投稿することは減りました。
――「雪兎」
生きなければならない、そんな気がしていた。何をも為さず、何をも成さぬ命でありながらも、僕は君と違って生きている。生きることを、世界に望まれている。それはきっと、全てによって成り立っているこの世界が望むことで、その理に踏み込める君であっても、その理に翻弄させられるだけの僕であっても、逆らいようのない、厳命なのだろう。
僕は芸術家にはなれない。だから果てしない現実が待っている。戻った折には、こっぴどく叱られるのだろう。そんな中で僕は、君を思い出しながら、君の夢を見るに違いない。
――「蜘蛛の糸」
ほんの少し、君を思い出して微笑むこと。
それが、本当の意味で大人になるということだと思う。
僕は生まれてしまったから。
最初から選択肢は、一つしかなかったね。
あの日から今日まで、列車に乗っていたのは僕一人で、どんな道を進むかは全部、僕が決めてきた。
この世界は、「せい」にしてしまえる何かで溢れている。
それでも、行った全ては、最後には僕の意思に基づいていた。
取り消せるはずがないんだ。
ねえ、どこにだっていやしない神様。
僕は今日、また一つ選ぶよ。
聞き届けて、また笑うと良い。
――「交響曲第1番」
「東京喰種」の完結と共に、他の作品にも目を向けるようになり、藤夜アキの世界はまた、広がりを見せています。
雑誌への投稿も始めましたが、いつか、桜咲く日は訪れるのでしょうか?
そして、2019年(25歳)
11年目となる今年、私はどのような作品を生み、どのように惑い、どのような答えを見つけていくのでしょうか。
藤夜アキはおそらく、何かまた大きな出逢いの無い限り、藤夜アキでいると思います。
今年の目標としては、去年背中を押してもらったことで作成する気になった、紙の本の作成と、仕事との時間の兼ね合いがうまく出来た時にはイベントへの参加を設定しています。
なろうへの投稿の再活性化と、さらなる詩の投稿、ツイッターでの知名度向上など、やりたいこと叶えたいことはたくさんあります。
具体的には、今後も藤夜アキ NEXT 10 YEARS PROJECTとしてまとめて行きますので、ぜひ、応援のほど、よろしくお願いします!