夢って遠いね

ほっと一息つきたいあなたに、ささやかな憩いの時間を。

Re+ "LuLLaBy"を読む

 好評の企画になるなどと思わなかった。

 元来、文筆をする者は読んでもらいたい生き物なのだから、至極当然と言えば当然なのだが、よく考えてみれば、このように感想以上の考察を得るような機会も多くはない。

 これが何らか喜びのある企画として受け止めてもらえるなら、実に喜ばしいことだ。

 

 前置きが長くなった。

 今回見ていくのは、 Re+(れたす) (@k7na7na8se) | Twitterの作詞した歌詞だ。

Re+と書いてれたすと読むのだと当人は言う。あのキャベツと見紛う緑の野菜である。

 彼女にはぜひ、シャキシャキした人として、これからも瑞々しくあってもらいたいものだ。

 

今日も この世界の どこかで
悲しみの夜に 溺れる君へ
君の 心の叫びは いつも
この夜空まで 響いているよ

どうしようもなくて
どうにもならなくて
発狂しそうな今を 君は 生きている

どうにか変えたくて
手を出してみるけど
自分の非力さに 君は 嘆く

白銀の 髪を なびかせ
この唇で 歌を 紡ごう
闇夜に紛れる 子守歌を
そっと 包み込む 愛の歌を


今日も この世界の どこかで
泣き疲れ夜に 眠った君へ
君の涙は 光を 浴びて
いつか 絶対に きらめくはずさ

変えたいのは未来 でも
変わらない現実
『一般化』された今を 君は 生きている

誰もが『前ならえ』
独りを毛嫌って
我先にと掴む 既存の 定義

金色の瞳 見つめる
この歌声が 届くところを
闇夜に紛れた 子守歌で
君を 安らぎへ 導きたい


無数に 瞬く 星の数だけ
泣いて 泣いて 泣いている
その心に この歌よ 伝え

一つの 大きな 未来のため
飛んで 飛んで 飛んでゆけ
その心に その希望に この声を 奏でる


濃紺の 服を 纏って
この髪も 瞳も 隠そう
闇夜に紛れる 子守歌が
僕の歌 じゃなくて
みんなの歌に なるように

白銀の 髪を なびかせ
この唇で 歌を 紡ごう
闇夜に紛れる 子守歌を
そっと 包み込む 愛の歌を

いつか 歌い継がれる日を 夢見て

http://lyrics.minna-no.jp/lyrics/view/114774より

 

 一聯ずつ見ていこう。

 

今日も この世界の どこかで
悲しみの夜に 溺れる君へ
君の 心の叫びは いつも
この夜空まで 響いているよ

 

 なるほど、舌が唸る。「悲しみ」というワード一つで、私は唾液が分泌されるのを感じる。

 舞台は夜。それも、「悲しみの夜」。それは感情のうねりとなって、「溺れ」させてしまう。

 そんな中で放った「心の叫び」は、「夜空まで響」くのだ。

 このリリックを書き記す存在は、そんな「夜空」の住人なのだろうか。

 

どうしようもなくて
どうにもならなくて
発狂しそうな今を 君は 生きている

 

 私のことを言っているのだろうか。と思わせた時点で、この聯は執筆者の目的を果たし得ているだろう。「発狂しそうな」と過激な表現を使うのも、ここでは平易な表現を引き締める役割を持っているように思う。

 この歌を聞くべき対象者が、この時点でゾーニングされていることも分かりやすい。

 

どうにか変えたくて
手を出してみるけど
自分の非力さに 君は 嘆く

 

 前聯で「どうしようもなくて」「どうにもならなくて」とDO音を続けたのを受けて、「どうにか変えたくて」が続く。

 前聯は無力感が漂うが、本聯では打開しようという力強さが見え、聯を挟んで「君」が対照的に映し出される。

 だが、そんな努力もむなしく、「非力」な「君」は「嘆」かざるをえないのだ。

 ここまでで、「君」の現状は十分に示された。そしてこの先、サビはそんな「君」を救ってくれる。

 

白銀の 髪を なびかせ
この唇で 歌を 紡ごう
闇夜に紛れる 子守歌を
そっと 包み込む 愛の歌を

 

 先に見た「夜空」の住人は、「白銀の髪」の持ち主。それが「なび」いたシーンが映ったかと思えば、「歌を紡」ぐ「唇」が、「この」という指示代名詞によって焦点化され、そこに一気にカメラが寄る。女神のような優しい人物の口元がクローズアップされる姿を思えば、どこか艶やかな印象も抱く。

 彼女がその唇で「紡」ぐのは、「子守歌」だ。タイトルのLuLLaByは、ここから取っていることが分かる。

 この聯の後半二行は、同義反復だと考えられ、「闇夜に紛れる」が「そっと包み込む」に対応し、「子守歌」が「愛の歌」に対応する。

 歌の紡ぎ手は、「悲しみの夜」を癒すのに相応しい、押し付けない優しさを与え、「君」を救ってくれるのだ。

 

 

今日も この世界の どこかで
泣き疲れ夜に 眠った君へ
君の涙は 光を 浴びて
いつか 絶対に きらめくはずさ

 

 二番へ入ろう。

 導入は同じであるが、「悲しみの夜」に「溺れる」内、「君」は「泣き疲れ」て「眠っ」てしまう。一番から二番では、時間の推移が把握されよう。

 その目からは、「涙」が流れているのだが、それが「光を浴びて」「きらめく」という。

 この「光」とはどういったものを意味するのだろう。月明かりなのか、人工の光なのか。

 これには、「きらめくはずさ」と述べる女神めいた存在の居場所を考えれば、答えが出よう。そう、彼女の居場所は「夜空」だった。すなわち、ここは月明かりが正しいだろう。であれば、これは「光を浴びて」とは言うものの、「夜空」の住人たる彼女が差し込ませるものとさえ見られなくない。

 まさに「君」を慈しむような、深い慈愛の念を感じる。

 

変えたいのは未来 でも
変わらない現実
『一般化』された今を 君は 生きている

 

 二番の二聯目でも、やはり「君」の無力さが歌われる。

 ここでの「君」という人物は、変化を望み、今に抗おうとしている。それは「未来」を「変え」ようと欲する姿勢に現れるが、その目の前には、「現実」が姿そのままに横たわっている。その「現実」とは、「『一般化』」――つまり、どこにでもあるような、判を押した大量生産のそれだ。

 ありふれた「今」を打破したい、でも叶わない、そんな葛藤が見える。

 ここで二重カギ括弧が用いられているのは、「君」の人柄を示しているように見受けられる。「一般化された今」ではなく、「『一般化』された今」とあるのは、少なくとも自分にはそう思われている、と断りを入れているようなものだ。そこには、強く出ることの出来ない、「君」の気弱な部分が見え隠れする。

 

誰もが『前ならえ』
独りを毛嫌って
我先にと掴む 既存の 定義

 

 三聯目は、一番の三聯目と異なり、「君」一個人の動きは見られない。むしろ、「君」のような大多数が生きる、この歌における世界観が見て取れよう。

 この世界では、「君」のみならず「誰もが『前ならえ』」する。ここでの二重カギ括弧は、先ほどとは意図が異なるだろう。比喩表現であることを強く意識させるほか、囲い込むことによって、その愚劣さをより強調させる狙いがあるように思う。

 この「独りを毛嫌って」というのが、まさに「君」が見せたような気弱さの内実ではないだろうか。

 そんな「誰もが」、「我先にと掴む」という「既存の定義」とは、まさに安寧であり安定であり、そして定まったがゆえに「変わらない」、停滞の象徴である。「君」の望む変革は、新しい「定義」の作成にある。

 

金色の瞳 見つめる
この歌声が 届くところを
闇夜に紛れた 子守歌で
君を 安らぎへ 導きたい

 

 女神のような彼女の容姿が、また一つ明らかになる。その「瞳」は、「金色」であった。今度は目元にクローズアップが為されるが、それはそのまま「歌声が届く」「君」のもとへと移る。

 時間の経過通り、「闇夜に紛れる」から「闇夜に紛れた」となっているのは巧みだ。

 既にこの時、「眠った」「君」の耳には、彼女の「安らぎ」へ「導」こうとする「歌声」が静かに聞こえていることだろう。

 

 

無数に 瞬く 星の数だけ
泣いて 泣いて 泣いている
その心に この歌よ 伝え

 

 「君」の悲しみはあまりにも深い。涙するその数は、まさに「星の数」。「泣いて」を三度重ねることによって、その途方もない数を表そうとしているのが読み取れる。

 「伝」うと表現されているのは、伝われ、や届け、とは違う意味合いを持たせてのことだろう。何かを介しながら、という印象を抱くが、これは「君」が一人ではなく複数いて、そうした「君」の一人一人の「心」を伝っている様が浮かび上がってくるのではないだろうか。

 

一つの 大きな 未来のため
飛んで 飛んで 飛んでゆけ
その心に その希望に この声を 奏でる

 

 「変えたい」と望む「未来」があるのなら、「飛んでゆ」くべきだと彼女は言う。その「声」は、単なる「歌声」にあらず、「奏でる」と記されている通り、楽器の音色の如く、人間以上の存在が生み成す、旋律とさえ呼べるだろう。

 そしてそれは、人の「心」と「希望」を肯定し、閉塞した現状を打破する勇気と決意を、与えてくれる。

 

濃紺の 服を 纏って
この髪も 瞳も 隠そう
闇夜に紛れる 子守歌が
僕の歌 じゃなくて
みんなの歌に なるように

 

 「髪」・「唇」・「瞳」と来て、次は「服」が分かる。「纏」うその色は「濃紺」と、「夜」の象徴のようだ。身体のパーツが「銀」や「金」であっただけに、衣服の色によって画面を引き締める意味もあるだろう。

 さらに彼女は、目立つその「髪」も「瞳」も「隠」してしまう。

 「僕」という個人を強く主張させるパーツを「闇夜」の中に沈ませることによって、「子守歌」は真の完成を見る。それはさながら、誰の作詞だ作曲だということを忘れ、皆の口の端に自然と上るようになった数々の子守歌が、その個の喪失によって、私たちを安らかな眠りに誘ってくれるのに似ている。

 人を超えた存在だからこそ出来る、献身的な愛の形がここにある。

 

白銀の 髪を なびかせ
この唇で 歌を 紡ごう
闇夜に紛れる 子守歌を
そっと 包み込む 愛の歌を

いつか 歌い継がれる日を 夢見て

 

 ところが一転、「髪」が暗闇から現れ、印象的な「唇」がまた姿を見せる。

 末尾の「いつか歌い継がれる日を夢見て」とは、この歌詞において、実に人間的な願望のように映る。

 そう、ここで我々は、女神のように見えていた彼女が、女神になろうとしている一介の人間であったことを知るのだ。

 捨て切れない「個」が見えるところに、強い人間性を感じる。

 彼女の「子守歌」はまだ、誰もが愛し子のために自然と口ずさむようなものには、至っていない。

 どのような子守歌もそうであったように、初めは歌い手の個性が強く想起されたように。

 

 

 歌詞全体に目を向けるため、私は一度背筋を正す。

 そうすると見えてくるのは、「夜空」の住人に〝なろうとしている〟彼女もまた、「君」の中の一人ではないか、ということだ。

 彼女にとってもまた、この世界はままならぬものであり、「君」のような人たちが、涙しなくて良いような「未来」を願ってやまないのだろう。

 誰かを励ます歌があるとして、それは痛みに無縁な者が歌うこともあるけれど、やはり、同じく痛みの渦中にある者が、自らをも鼓舞するために歌ってのことであるのは、往々にしてあることだ。

 この歌はまさに、現実に阻まれる者たちが、「飛んでゆ」けるように願った、自他共に向けて贈られた、愛おしいメッセージなのだ。

 

 

 今回、初めて歌詞を考察した。

 考察の態度としては、私は前から一行ずつ解釈していく手法であり、歌詞全体を読んでから、一行ごとに解明していく方法は取らないが、それは出来るだけ、初読の読みを大切にしたいが故である。

 国語の授業ではおそらく0点の解き方だが、私は初めての驚きと疑問を大切にしたい。繰り返し読むことで得られる感動と発見もまた、魅力あるものだが、私はどうにも、前へ、前へと進みたい性格なのだ。

 

 作詞は番を跨いでの対句など、学ぶべき点が実に多くある。

 今宵もまた、美味なる食事であった。

 

 次の食卓には、どのような皿が乗っているだろうか。