やさしく考える詩のはじめかた #3.5 とりあえず書いてみよう
講義は眠くなります。だから僕らは抗議したい、たまには僕らが話す機会が欲しいと。
こんばんは、藤夜アキです。
今回は#3と#4の合間、#3.5として、私が話すばかりではなく、皆さんにもに一作品書いてもらおうと思います。
さあ、紙とペンをご用意、ないしお気にのエディタを開いてくださいね。
今回のお題は「満員電車」。今まさに私がいるところです。J-POPでも大人気のタイトル、テーマです。今回は身近にありそうなものをテーマに書いてみましょう。
満員電車とは縁が無いから、そんな方でも構いません。満員電車という概念をまるで知らない人はほとんどいないはずです。本物を見聞きすることの大切さは往々にして言われますが、それだとファンタジーは存在し得ません。誰も火を噴くドラゴンを見たことはないのだ。
満員電車、想像してみましょう。
人がいっぱいいます。あなたは座れましたか?
……想像タイムですよ。先へ行く前にゆっくり考えてみてくださいね……
ここで座れた人と、座れなかった人と、座った人と、座らなかった人とで、早速出来てくるものの方向性が変わります。
座れた人は、そこから車内を見回すでしょうか。それとも、携帯の画面に没入するでしょうか。
座れなかった人は、バランスを取らないといけません。座れた人たちを羨むこともあるでしょう。
座った人は、少し後ろめたい気持ちもあったりするかもしれません。当然だ、私も疲れているんだ、と思う人もいるかもですね。
座らなかった人は、譲るべき人がいたのでしょうか。若者は立っておくべきだ、という主張を抱かれていることもあるでしょう。
私は座れませんでした。ちくせう。
座れなかった私は、目の前の二人の少年に目が行きました。
ああ、もちろん、想像でも良いのです。
幸い乗っているのは十分ほどなので、じゃれあう少年をのんびり見つめる余裕があります。本当、仲が良いですね。距離が近いです。
その隣の大学生は、小突き合って左右に揺れる二人に嫌そうです。
反対側の隣には、仲良い二人の友達でしょうか、妙に静かです。置いてけぼりを食らっていますね。
ああ、そういう時ってあるよなあ。
ここまでをまず書いてみることにします。
普段はもっと勢いで書きますが、言葉で説明するとこれくらい長くかかりますね。もう満員電車を降りてしまいましたよ。
……さあ、皆さんも真っ白なカンバスに向かってみて……
人に満ちた、午後四時の銀の箱。
疲れの満ちたそこは、さながら小さな時限爆弾。
裏が出れば不発弾、そんなコイントス。
小突き合う二人の少年が、世界で一番幸福な。
周りの迷惑、省みず。それがかえって、真実らしい。
とりあえず、思いついた言葉を並べてみます。
列車を銀の箱と形容したのは良いのですが、列車だとすぐには分かりませんね。それを良しとするかは、もう一人の自分に聞いてみましょう。千年パズル組まなきゃ。
さあ、自分と向き合う時間。
え? 主人格しかいない?
違いますよ、詩こそがもう一人の自分ですから。
……明鏡止水。さながら剣士の如く……
人に満ちた午後四時。銀の箱は風を切る。
疲れの満ちたそこは、さながら小さな爆弾だ。
何も無ければ不発弾、そんな賭け事みたい。
小突き合う二人の少年は、世界で一番幸福な。
周りの迷惑、省みず。それがかえって、本物らしい。
銀の箱で止めると、やはり列車のようだとは気付いてもらえなさそうです。タイトルが満員電車なので、他にないんですが。江ノ電しか見たことない人には、何が何だかですよね。
ただ、電車だと言い切るのは、ちょっと嫌な気分だったので(詩人だから、とか言いはじめると、いつか普通に書きたいと感じた時、自分の心に嘘を吐かなきゃならなくなりますから、猫のように、秋の空のように、今日は嫌なの、と昨日はフレンチを食べたがっていた恋人が、今日はイタリアンを食べたがるように言ってやるのです)、走らせてみました。フオーン。
小さな時限爆弾。それだといつか爆発しそうです。したら困りますね。私も肉片です。ここは単なる爆弾にしました。
コイントス。確率は同様に確からしい、とよく断りが入れてありますよね、コイントスだと二回に一回、私も肉片です(本当にそうならソシャゲのガチャはどんなに楽なことか)。裏の方が出やすい魔法のコイン、を想定してみましたが、言葉にするのはくどくなりそうです。ここは賭け事、とぼかしておきましょう。
二人の少年「が」を二人の少年「は」に変えました。言語学が専門でもないかぎり、微妙なニュアンスを分かっていれば良いと思います。今回はデミグラスよりも和風おろしの方が合う気がしました。
真実と本物と。意味は似たようなものですが、二人の「友愛の情」を何と形容すべきかは、「本物」の方が俗っぽくて、似合う気がしますね。
常に気取らなくて良いのです。牛丼屋にパーティードレスで行かないのです。
さて、満員電車を降りてしまった私は、ここからは出来た詩文と見つめ合います。もう少し色々付けてみたいところです。
その時思ったことを書くだけでは、それ即ち即興詩人なり。私たちが切り取ったシーンを、私たちは文章の形に仕上げたわけですが、今度は逆にそこからシーンの方を思い浮かべてみるのです。
詩の形になった時点で、それがどれほど写実に富んでいようと、現実ではなくなっています。
さあ、今度は虚構を現実に仕立てるのです。
私が先日、ある所に投稿したものは、100%の虚構でした。どこにもない世界について書いた後、出来上がった世界を私は旅してみました。あの世界からは、さらに何作品も出来ることでしょう。
分かりにくいですね。
つまり、自分の作品を読んで、そこから何か思いついたら、手を加えてあげましょう、ということです。もちろん、そのままが良い、と思ったら、それで完成です。清書に入りましょう。
ああ、もし起爆したとして。
奇跡的に生き残る人がいたとしたら。
僕には答えが分かった気がする。
車内は一触即発の空間、そこから爆弾と例えた私。
じゃあ、爆発させてみましょう(※この番組はフィクションです。)。そうして考えを巡らせた結果、奇跡的に生存者がいたのです。
ああ、繋がりましたね。
どうして習作ばかり、秀作と思えるものになるのでしょう(他人の評価より、まずは自己評価よ)。
さて、清書タイムです。
……みんなもいっしょにー! せいしょー!たーいむ!……
人に満ちた午後四時。銀の箱は風を切る。
疲れの満ちたそこは、さながら小さな爆弾だ。
何も無ければ不発弾、そんな賭け事みたい。
小突き合う二人の少年は、世界で一番幸福な。
周りの迷惑、省みず。それがかえって、本物らしい。
ああ、もし起爆したとして。
奇跡的に生き残る人がいたとしたら。
僕には答えが分かった気がする。
うんうん、良い出来です。
ここで、え? 詩の書き方は? 結局分からなかったけど? という方は、詩を大層な料理だと思っていませんか?
卵をといて、フライパンに流して、程よく熱を通せば、それは十分に料理と呼べますよね。盛り方とか、味付けとか、そういうことを意識して整えていくかが、より料理と呼ぶにふさわしいかの境界を切り分けていく指標になるだけの話で。
私たちは詩を書きはじめるのに十分なことばを持っています。
私みたいに、これじゃ人には見せられないな、なんて悩むのは、ずっと後で良いんです。まあ私、滅多にそんな悩み抱きませんけども。
どうだ、飯食ってくだろ? ってくらい強引で良いんです。
もし差し支えなければ、コメント欄にでも、あるいはTwitterの方ででも、あなたの書いた詩を見せていただけたらと思います。(非公開コメントが出来た……はず)
添削できるほど仕上がった詩人ではありませんが、あなたの詩の良い点くらいは、見つけることが出来ると思いますから。
それでは、次回、第四回の講義でお待ちしています。