交響曲第1番 あとがき
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交響曲と言えば、真っ先に浮かぶのは第五番。かの有名な「運命」です。実際にはそう呼ぶのが正しくないとか何だとか言われますが、人口に膾炙しているものの見方が勝利するのは、世の常ですので。
最初はタイトルを交響曲第5番にしようかと思いました。でも、「運命」に寄せすぎるのもな、と思い直し、何か自分らしい数字を探しました。私は音楽家ではないですし、これが何番目に作られた作品かなんてことは、気にする必要はありません。
108というのを考えてもみました。煩悩の数ですね。何だか違う気がしました。
24というのも考えてみました。私の歳です。本作におけるいわゆる主人公はいくつなのか分からないので、やめることにしました。
そういえば、私は一人称をいつも気にしているな、と思いました。
私の作品の熱心な読者様なら、一作品に私だの俺だの僕だのが入り乱れていることは百もご承知でしょう。とにかく私には、一人称の持つ性格というのが、ある時以来気になってしょうがないのです。
本作は前作の10,000字詩に倣って重層的な構造にしましたから、色々な登場人物が現れます。そこから交響曲という、響き合う感じを持ってきました。
その中で、やはり焦点を当てるのは「僕」で、英語が好きな私はすぐに"I"を想起しました。
そうだ、1という数字はとても"I"に似ている。それで、数字は1になりました。
さて、それで具体的な内容をどうするかと考えた時に、まずは前作の10,000字詩を引き継いだ、第二弾というのはどうかと考えました。しかしどうにも、それをするには期間が空いていて、あの頃の感覚を思い出せそうにもなく、それはやめることにしました。半年以上経ってしまえば、それはもう、他人と変わらぬほど分からぬ存在です。
ただ、これを書く前に前作は読み直しまして、それを書いていた頃のことは、朧気ながら思い出していたのです。
「輪るピングドラム」というアニメをご存知でしょうか。もう何年か前になりますが、反響を呼んだアニメです。あれをちょうど見返していた頃で、その要素の端々が前作に垣間見えました。
今作のテーマは、その「輪るピングドラム」に見える、ピアノ弾きの少年に着想を得ています。
もっとも、その少年(作中では大人として彼が出ますが)は自ら指を傷めたのであって、本当にもう、指をピアノの蓋で痛めつける、というところだけ借りています。それでも、あれはもうとんでもない衝撃を持って受け止められたシーンでしたから、「輪るピングドラム」あっての成立というのは、間違いないでしょう。
前作はまだ、私の要素を随所に出していましたが、今作は単なる誰かの物語、という要素を強くしています。私はピアノなんて弾けませんしね。
ここで少し、登場人物について見てみます。
人称を統一させる気がないので、私の念頭にある人物を抽象的にまとめるだけに留めます。
◆?→君→僕
主人公です。
最初は少年とだけあったものが、ピアノの蓋に指を挟まれる事件を経て「君」になり、さらにピアノを売ったことで「僕」になりました。
現実を離れ、夢の内に生きている瞬間も幾らかあります。また、登場する「僕」は、必ずしも一つの存在ではありません。同一人物なのか、別人物なのか、私はあえて規定していません。
◆私
今作では様々な「私」が登場しますが、私という形を取ってるだけの主人公、主人公に関わりのある「彼女」の一人称、全くの第三者がいます。
この辺り、私はあまりこだわっていません。
◆蓋を落とした少年
ある意味で、「君」を生んだ少年です。元々虐められていたけれど、グループのリーダーに取り入って、何とかその状況を脱したという、いじめっ子の集団における類型の一つです。最終的には、誰より酷い状況に陥らされた彼は、本作で唯一、声を以て話さない人物です。
ラジオを通して、日記の中身は出てきますが、それっきり。私はあまり彼のことが好きではないのでしょう。
◆いじめっ子のグループのリーダー
捕まって裁きを受けることを好んだ、唯一の一人称「俺」の人物。彼は純粋悪でなく、そしてまた純粋悪であるという、矛盾した存在です。人の心の悲しさを表す点で、私は前述の少年より大切に思っているみたいです。
◆彼女
何人かいます。一人は「僕」になってから出逢った人物。どうやら、以前はピアノを弾いていたらしく、そのことが主人公の心を揺さぶるようで。また別の一人は、「君」以前を愛していた人物。危険な思想に染まって、主人公に過去に戻る手立てをくれるという、この詩で重要な役割を果たしました。他にも何人かいるようですが、私がはっきり意識したのは、この二人です。
◆彼
時に君とも。ルービックキューブをしたり、スクラッチくじをこすったり、奇怪な人物です。前作でも現れた彼は、「輪るピングドラム」に出てくるある人物を強く意識しています。全てを知っていて、でも救ってはくれない。神様とも同義かもしれません。彼は主人公の心内にいるのか、はたまたどこかから語りかけているのか、それについては分かりません。
私は彼を、ピエロ、と思っています。
多分こんなところです。
他にもいることにはいるはずですが、書いてすぐには読み返さないので、印象で語っています。
10,000字詩は特に、筋書きを持たせていません。もとよりプロットなんかを書かない私ですが、10,000字詩は統一的な見解を何一つ用意せずに書いています。
複数の人物が入り混じるだけでなく、ひょっとするとパラレルワールドすら混ぜている。
時系列もバラバラで、自我すらもあやふや。私として語っているのは、実は僕かもしれない。
短い詩でやると意味の通らない、それを10,000字詩でやると、ますます意味が分からない、でもだからこそ、何か不可解さが形を伴っている。
とかなんだとか、まだこのよく分からない、でも私はどうしてかこれを好んでしまう現象については、いずれ考えたいと思います。
私はつくづく、小説家になりたかった(別に諦めてないけれど)詩人になろうとする人になりつつあるのではないでしょうか。
誰も10,000字の詩を書こうとはしませんし、これが詩かどうかは1,000年後くらいまで分かってもらえないでしょう。
でもこれは、詩です。
それは何も、私が言い張るからそうなのではなく、私の10,000字詩が、行間の要素を持っているからです。
ただでさえ捻くれた詩という構造を、さらにねじ曲げて、歪めて、ひん曲げると、こうなります。
とかなんだとか言って。
私は多分、どこにもない何かを、創ってみたいだけなんだと思います。