【日記】私の詩の目指すところ 〜誰も傷付けない形で苦しさを言葉にすること〜
こんばんは、藤夜アキです。
梅田の地下を歩いていた折、ふと、浮かんできたもの。それをまとめたのが、次のツイートです。
日々の悩み苦しみを、人に言えない、相談出来ない。相手はいるけれど、したいと思えない。迷惑をかけたくない、迷惑だったと思われたくない。
— 藤夜アキ/よるの実況 (@Tohya_Aki) 2018年8月23日
そんな、悩みの上の悩みを抱える人たちに。
僕の詩が、ああ、そうだ、そう思っているけれど、言えないでいるんだと、思わせてあげられるものであるように。
辛いこと、抱えていること、悩んでいることを、私はほとんど人に話しません。
友達もいるし、相談できる相手もいます。でも、話しても、最後に思うのは、結局自分の選択なんだよな、ということで。
どうするかは自分次第じゃん、そうとしか言えない悩みばかりで、それを聞かされることこそが、相手にとっての辛さとなるだろうから。
言っても仕方ないんですよね。話すことで気が楽になる、新しい考え方が得られる、確かにそれもあるだろうけど、でも、私はどうしても、迷惑をかけただけだ、と思ってしまう。
ただ、相談するのが苦手なだけかもしれません。でもやっぱり、みんな辛さを抱えているから。自分のそれも背負ってもらうなんて、とても私には出来ない。
そんな思いを抱いている人は、たくさんいると思います。
人間関係やら自分の責務やら、それらがもたらす苦悩を言葉に出来ない人、しない人というのは、デトックス出来ないわけですから、自分の中にもやもやした気持ちが溜まっていく。
以前は、そんな人たちの言葉を聞く役割を担いたい、そう考えていました。でも、心の内を曝け出すことは難しい。気心の知れた人にさえ、遠慮してしまうのです。デリケートな話を、少し知り合いの程度の私に話すのはどうかと思う。
私の方も、その人に常に寄り添ってあげられるわけでもない。無責任だ、と感じて、続けることは出来ませんでした。
では、そういったことを聞いてくれる職業の人に話してみるべきなのでしょうか。
少なくとも私は、仕事で聞いてくれる人に話すのは嫌で仕方ありません。
わがままで、身勝手。だからこそ苦しいのですよ。分かってる。
そうして私が一つ、思ったのは、この苦しみや悲しみを、言葉にして、置いておくこと。
〝ああ、そうだ、私もそんなふうに感じたんだ〟
読んだ人が、そう思ってくれたら良い。
きっとそれだけで、心は軽くなる。
解決なんて出来ません。話したところで、聞いてもらったところで。
私たちが本当に欲しいのは、僅かな安心。
言葉にすることが出来ず、内側に抱え込んでいたものを、擬似的に外に出す。
それを出来るのが、苦しみや悲しみを詩にするということなのだと。
そんなふうに思いました。
物語じゃ長すぎる。
シチュエーションが違う、美しい人物の悩みに心を寄せれない。筋書きなんて要らない。
だから。
ただ、心に浮かんだことを、そのままに。
悲しい、辛い、を少しだけ飾って。
それを読んで、我慢していた涙を流せたら、そんなに素敵なことはない。
私の詩が目指すのは、そんなところ。